2008年12月08日

・同居記録:74

☆2008.9.24。失語症の続き。

失語って辛いと思います。思っている質問や返事が出来ないのですからね。デイ施設では言葉が極端に減ったと聞きます。この失語には運動性失語と感覚性失語に大別できるそうです。
(運動性失語)
発音、発声のタイミングが調整出来ず、音をうまく表出できない/口数が少なく、話してもぎこちなく口ごもったり、途切れがちになって、「用件をもう一度、話して下さい」、と催促しても同じ内容の事を復唱できません。また、日常会話程度なら理解できますが、出来事の意味づけは出来ません。文字に関しては読み書きはひらがなの方が困難なケースが多く、漢字の方が理解するケースが多いかも。

(感覚性失語)
言葉の意味、モノがそこにある理由、それを形容する言葉などが理解できない、発せない。すらすらと話す場合でも、モノの名前や形、色を表現する言葉や形容する用語自体に誤りがある場合が多く、発音も違うケースが多い。日本語にならない事が多い。相手の話している言葉自体を理解できない。文字の解読ができない。時に漢字を理解する。
・・と、このような事が専門誌には書いてありましたが、どの程度の研究時間を割いての結果なのかは分りませんね。6年間、一日に19時間程度を一緒に過ごしている私の目から観る母の失語がどちらに属した失語なのか・、こんな研究をする人も居るんですね・・。

大まかに言えば、脳の機能障害がどの部位の軟化に伴うか、その部位への血流がどう阻害されているか、という事みたいです。ただ、重度の失語症は脳卒中の危険因子になるという事には驚きました。
母の場合、両者にまたがる部分がありますが、どちらかと言えば運動性失語症でしょうか。何事にも積極的で話す意欲がある、参加する意欲がある。申し訳ない、済まない、こんな自分になってしまって・・、と現在の自分を理解している事が多く、従って見栄も自尊心もしっかりと持っていて、しかし、その気持ちをうまく伝えられない。伝えようとすると簡単な言葉しか出てこない。感謝や怒りなどの幾つもの言葉を繋いでいこうとすると自分が何を伝えようとしているかさえ忘れてしまう、といった状況です。

☆最近になって見つけ出した[母との付合い方]。母の自慢を話題にする事。

認知に難聴は関係がないと言われますが、私は母を見る限りそうは思っていません。面倒がり屋の母は真剣に周囲の話を聞いていない事が多いんです。
「どうせ聴え辛いから聞かない」、みたいな処があって性格的なものがあります。補聴器は映画鑑賞時や講演会などでアンプ側の周波数合わせの設定さえして頂ければワイヤレスででも使える立派なものを母は持っていますが、デイ以外では家庭ででも使おうとはしません。首から提げるのが嫌いなんです。
そうした生活を続けているから記憶しないのです。聴えない聞こうとしないものは覚えません。覚えない事を繰返していると感動がなくなり記憶もしなくなります。だから、その時の話題が出ても思い出せないのだと思います。皆様のご家庭ではどうなんでしょうか?。

[母の難聴について]:
既述した事ですが、水と言われたら水と理解しますが、私が真水と言うと理解しません。水に真がつくと駄目なんです。(なみす)とでも聴えているのでしょうか。清水と言っても(きみす)と聴こえるのでしょうか。
しかし、手振りでアクションをつけて話すと湧出る清水くらいは、「ハイハイ」、と多少遅れて分ってくれます。
或いは、そうした場所に行き、話題を限定した会話だと成立するような感触を持っています。
例えば、母と菊池渓谷に行ったとして、「ここは気持ちがいいね、涼しいね」、みたいな中で使う言葉の真水や清水、湧き水という言葉への理解は早いんです。これは耳からだけではなく、実際に目や肌で感じる涼しさが言葉への理解を手伝っているのではないでしょうか?。

[認知=忘れ]を遅らせる方法。
その他、頭の中でイメージさせる事で会話がスムーズに運ぶ事があるんです。これはやってみる価値はありますよ。以下は全てが母の耳元でゆっくりと話し掛けをして、母が聞こえているという前提での事です。
例えば、漠然とした海や空や山の話をするより、母の育った歌が浦という場所の話をして母の脳裏に歌が浦の海を空や山を母自身に描かせるのです。
自分の育った故郷の自然をイメージさせる事によって海の水や空の青さや山々の緑の話ができるようになります。母は歌が浦の話をするのが大好きなんです。この地の話をさせる事で母の認知の進行を知る事ができます。
一つの質問をする事でその数倍もの言葉が母の口から正確に発せられます。この時には失語の症状も驚くほどに減っています。
単に幼い頃の歌が浦の自然風景が母の脳裏に浮かぶだけではなく、身体が不自由になった分だけ、「問い求められる事への喜び、自分だって頼りにされている」、という感動が湧いて言葉になるのではないかと思っています。誰だって嬉しさ、喜びは正確に伝えたいですからね。母も脳ミソをフル回転させて自慢話をするのだと思います。日々の充実感、生甲斐を与えるってそういう事だと思います。


☆2008.9.27。 ぽーれぽーれ。

私の手元に「ぽーれぽーれ」という[(社)認知症の人と家族の会] が発行する冊子があります。2年近く前ですが、[母に生命を返す時]、を富山支部の方へ送った処、丁寧な礼状と共に毎月送られてくるようになった本です。
アルツハイマーを主体に広く老いや介護について専門家から介護家族の方など、実に様々な方々が研究論文みたいに、或いはエッセー風に、短歌や俳句で老いを語っているものです。
長崎県の記事の一部を紹介します。

質問者:兼業農家の嫁:54歳)
76歳の姑は、2年程前からかなりの物忘れがありました、、最近では暴言やおかしな行動も始まり介護が大変になりました。専門医に相談したいのですが、夫も実の娘達も。「年相応。ボケではない」と言って反対します。どうしたらいいのでしょう。
回答者A:私の場合も、夫が自分の母親が認知症である事を認めようとはしませんでした。結局、夜中に自宅を抜け出した母が警察の世話になって初めて理解したんです。

回答者B:我家の姑は、余りにも異常行動が多くなったので専門医受診の必要性を義妹たちと話すのですが、断固たる拒否が続きました。私が膝を悪くし10日間ほどの検査入院をし、その間の母の世話を義妹たちに頼んだことで義妹たちも姑の状態を理解したんです。 
回答者C:そんな姑を世話する忙しさの中で、その状況を理解しない家族を相手にしていても始まらない。症状が進んでしまうかも知れません。貴女が一人で姑さんを専門医に連れて行き、その結果をご主人に伝えたら如何ですか?。

回答者D:回りの無理解の中で一人、泣きながら、「いっそ、死んでくれたら」と思う毎日でした。私自身が神経内科を受診し、その先生が私の状況を夫に伝え、姑も診せてみようということになりました。

ここで一呼吸、富山県の方の独り言をご紹介します。
・父を看る 母の小さな肩を抱き 優しき心の鼓動を聞けり
・大トンボ 人居ることに関わりを もたぬがに飛ぶあけすけの部屋

いろんな記事を紹介したいのですが、私にもなかなか自由に使える時間がありません。200年8月13日の読売新聞に掲載されたという記事を載せてみます。
 
 私は最近まで特別養護老人ホームに預けられていた。私の介護を一手に引受けていた褄が無理がたたって股関節の置換手術を受けたからである。老老介護の行き着く先である。妻の股関節の金属骨への術後はリハビリも含めて、約2ヶ月の入院が必要だった。

 一人では寝起きもままならない私は途方に暮れた。しかし、棄てる神あれば拾う神ありで、たまたま私の実妹が茨城県つくば市で特養を経営していたので文字通りの緊急避難となった。
お陰で誰もが一度は通らねばならぬ人生の終末期を過ごす終(つい)の宿りを一足先に経験することになった。ここで私は、想像を絶する超高齢化社会の現実を目撃したのです。
 私が居た棟には重度の認知症の老人が多かった。一日中、「痛い痛い」と叫ぶ老人。鈴をつけて黙々と院内の徘徊を続ける老婦人。口紅を塗って童女のように華やいでいる老女。「あいやあ」と終日泣き続ける百歳になるお婆さん。何かがなくなった、誰が盗んだんだと言い張る老婆・・、凝縮した老いの姿が私を直撃した。

生きて出所する人は希で、みんなここで死を待つ老人であった。実際、私が居る間だけででも3人の方が世を去った。そんな老人たちを支えているのは介護職員たちのたとえようのない優しさであった。全員がそうだとは言わないが、彼らには滅び行くものへの共感があった。人の嫌がることも率先してやる事は勿論、何度繰返されても嫌がらず、優しく受け答えする。夜中にひっきりなしに鳴るブザーに嫌な顔ひとつしない。職業とはいえ、なかなか出来ないことだ。認知症とはいえども、人には生きてきた歴史がある。その積重ねがあって今の存在があるのだ。老人の記憶は今は失われていても、彼自身が長い過去の時間の記憶なのだ。介護する人は一人ひとりの老人の一生、全存在と向き合わねばならないのだ。
大声で叫ぶ老人が元自衛隊の幹部だったらなだめるのに軍歌を唄ってあげる。元大学の教授だっら先生と呼ぼう。介護をする為には老人の隠された過去の人格を認めるしかない。
ー省略ー
介護には、介護する人される人。人それぞれの本性が現われる。そして、人間の本性とはなんと奥深いものであろうか。.



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