2008年11月19日

・同居記録:55

☆人生は【想いの壺】おもいの・つぼ。山の中で泣き続け、恨み続け・、そして、腹が減り思わず両親の名を叫んでしまった。

ある方が私に言われました。「高橋、人生は想いの壺なんだ。決して自分だけで生きてはいなくて、実に多くの人達との縁の中で生かされ、歩かされているんだ」、と。そして、「親から与えられた壺なんて小さなものだ。いろんな人の思いを受止める事のできる人間になりたければ、その壺はお前自身で少しづつ大きくしていく必要があるんだ」、と言われました。
若い頃に私が山に篭り独り暮らした一番の理由はそうした事が切っ掛けでした。食べること、生きる事・・、その全てを両親に依存して生きてきた癖に、この上何を俺は望むつもりなんだ、と思った時、私の中の両親や世間への恨み辛みが少しずつ消え始めたのです。

☆繰返す山籠もりの中で心静かに観察、野犬との食い合いで行動は激しく。

やがて、私はこの山籠もりを幾度となく繰返すようになり、俗世を断って暮らすうちに独自の人間観を作ってしまったのです。山には無数の野犬の集団が居て、私を食料としか見ない犬、以前の飼い主を思いだしてすり寄って来る犬・・、歯を剥き出して威嚇する奴、そんな私を護ろうとする奴。しかし、自然の中では所詮は腹が減ると私に牙を剥ける事を知りました。やがては私も腹が減るでしょう。まるで人間社会と同じだな、と思いました。私は自分をそんな環境に置く事でいろんな事を学びました。泣いてばかりじゃ食われてしまう、と。
川にさえ逃げ込めれば私を追ってくる野犬の数は半減します。せめてリーダーだけでも倒そうと覚悟する私に向かって顔を上に向けてアップアップと泳ぐ事に精一杯のリーダーが私に近づいて来ます。顔を上げて泳ぐ野犬の喉を切るのは簡単な事でした。
私の山籠もりではそうしないと生きていけなかったのです。互いが食料なんです。動物的で本能的で、自然界では何が偉くて、強いのか。何を以て優しさと言えるのか・・。その条件の全てを満たしていて始めて生きて下宿に帰っていたのです。

☆この頃の体験が信念として残っていて、今でも顔を出す倫理観や道徳観。

私のこの当時の体験は時に今でも頭を持上げる事があります。以前にも書きましたが、大雨による地崩れで自宅が傾き、今にも川に引きづり込まれようとする家を見ながら、「腹が減った。役場からの握り飯の配給はないのか?」、とマスコミのインタビューに笑い顔で答える典型的な現代の日本人の姿をTVで見たりすると無性に腹が立ちます。
「今からでも傾いた家に飛び込んで米櫃持って来いよ。火くらい、飯くらい自分で炊けるだろう」、と思ってしまうんです。

☆嫁の冒険心、探求心に癒された時期。

嫁は私の人間観をどう思っているのでしょう。少なくとも、私にとって嫁は天女のような一面があります。これも以前に書いたのですが、私は嫁の声が大好きです。しかし、嫁にはこの天使のような声以外、これこそ世界中の神々から与えられたのではないかと思える程の天性のものがあるのです。詳しくは書けませんが、嫁は神社・仏閣を訪ね回る旅行が大好きなんです。私の場合は近場の朽ち果てたような神社・仏閣を見て昔を回想するのが好きなんですが、開放的な嫁は有名で大きな広い神社仏閣が好みのようです。
写真に撮ってきては、「ほら、凄いでしょう。大きいでしょう」。「ここの廊下は広くて、長くて圧倒されたんだから」。「行って良かった。思っていた以上に偉大だったよ」、といろんな感想を言います。写真で見て描いていたイメージを凌ぐ感動というのは、そこに流れる風や陽の光、影、参拝する人々といったものによってより立体的に伝わるものがあるからだと思います。
どこの土地だったかは忘れましたが、行き当たりばったりで訪ねた古い酒蔵の歴史話を聞いた時には私の頭の中に酒蔵に出入りする監視役の侍や買い付ける商人達の姿が浮かぶのでした。古き日本の様子です。
実は、私の作る音楽の多くは次々と嫁が与えてくれたイメージが元になっている面が多分にあるんです。嫁が訪ね歩き体験する事で、その場所の素晴らしさ、訪ねた土地に住む人の人柄や使う方言などに私まで憧れたり、嫉妬したり・・、そんな日々の中で誕生した作品って多いものです。
このように嫁や母の目で見て、体感したものが会話によって私に伝わり、それをイメージした私が作るというケースも結構あるんです。
例えば、嫁は歌が浦の夜景とその時の母の表情だけを記憶していたとして、私は潮騒の音や母が発した言葉だけを観察記憶していて始めて作れたのが[潮騒の町]という作品だったりするのです。
要介護4になった母の介護が大変な時期なんですが、私にはこんな嫁であって欲しいという理想は今でもあります。嫁は、「私だけがいい思いをして申し訳ない」、と言いますが、この嫁の冒険、探求心は捨てて欲しくありません。夫婦ってどちらかの今際が見えた時、そして召されて逝く瞬間までをそばに居てくれたらそれでいいのではないかと思います。

☆集団検診の結果通知で「肺ガンの疑い・要再検査」という文字をみた時。

話が変わりますが、40歳無料検診の通知が回覧で回り、記事を読み間違えた私が当時35歳なのも関わらずに保健所に出向いたのも私の強運なのかどうかは分りません。受付で、「¥1500さえ払って頂ければ40歳になっていなくても撮影しますよ」、と言われて撮影して貰った時の話です。
3週間ほど経ってから私の妻宛に1通の葉書が届きました。表からは見えない例のシールドされた葉書に[親展]と書かれているではありませんか。保健所からの通知ですから私には覚えがありますし急な胸騒ぎを感じた私はべリッと剥がして・・見たんです。
「撮影の結果、胸部右側に・・」、それは肺ガンの疑いがあって日赤病院で精密検査を受けるようにと、担当の専門医師の名前まで指示されていました。もう、がーんですよ。
小心者の私は別な病院に行き、再度の撮影をして頂いたのですが、「あー、これだな。結構大きいですよ」、と無情な医師の言葉でした。しかし、不思議に人生を諦める気にはなりませんでした。嫁には保険だけは掛けとけよと告げて、以来20年を生きています。
私には幼少時の大手術の後にも腸の数カ所に癒着が残っていて慢性的な炎症状態が残り、白血球が常時12000~16000近くあるんです。この数値は成人の通常値の3倍から4倍程度でしょうか、常に白血球が臨戦態勢で風邪もひきません。セレニウム、ゲルマニウム・・外国から個人輸入して飲んだ時期がありました。そして、この10年は何にも対処していません。

☆9年に1度の割で不思議な訪問者がやって来る。「如何に生きるか」と彼らが言う。

この話、信じる必要はありません。無理して信じようとすると身体を壊します。私が見た夢という事で読んでください。
夜中にフッと身体が浮き上がる気配を感じて目を覚ませば、背後では烏帽子(えぼし)を被った神官さんが私の背中を支え、足元にはジャランと音のする棒を持った高野山系の修験者の大男が立っています。見るからに力を持つ高僧の雰囲気を感じます。そして、目の前には天女達が宙を舞っています。赤や緑の衣装を纏い、私を励ますように微笑んでいるんです。美しい音楽が聞こえています。
戸惑う私を無視するように修験者は私の上に跨って大きな顔を近づけ、「お前の身体は相当に病んでいる。だが、こことここに重大な疾患がある事をお前は知っていながら悩む事なく闘い力一杯生き抜こうとしている。我々はお前には大願がある事も知っている。だから私達はお前を死なせる訳にはいかない。今日は此処と此処を治してやろう」、と耳元に囁きながら私の胸を大きな指でトントン、トントンと何度も叩き、今度は腹部の癒着したままになっている部分をやはり指で回すようにさするんです。私の身体は熱くなり腹部などはゴロゴロと音さえ聞え始めます。
「いいか、9年経ったらまたお前の様子を見に来る。お前が必死に生きている姿が分れば再び、三度と何度でもお前を救ってやろう」、と言い残して姿を消すんです。私は何故か感謝の気持ちで体中が熱くなり、布団の中で声高に泣いてしまいます。翌朝、トイレでは激しい血便がありますが、何となく信じない訳にはいかないような話ですね。とても不思議な事です。
実は、[金木犀]、[弓削神社にて]という作品に使っているイントロの部分、あれはこの時の夢の中で流れていた旋律の一部を使用しているんです。
ピアノを弾き、音楽では私よりも先輩になる嫁は私の事を、「貴方はイントロ名人」、と言いますが、本来の私には[金木犀]や[弓削神社にて]のようなイントロを作る感性はありません。まさに、生かされている、そして何かを伝えさせられているという気がします。
私が自然や神仏、老いや命という・・、現在の自分が成り得ないもの、自然やそのサイクルみたいなもの、自身では絶対にコントロールできない力のような事、現象に対して畏怖を感じる一番の理由はこうした経験があったからだと思います。そして、世間の皆様は余りにもその事に無関心過ぎるのではないかと思っています。
人の心を察する能力を持つ者の先には必ず新たな何かが見えてきます。自然を称え感謝する者の先に必ず見えてくる何かがあるはず。少なくとも、そうありたいと努力しています。


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