2008年11月18日
・同居記録:54
☆母は我を張る事で自分が生きている証し、自分の存在を探している。認められたいんだ。
同居6年目になっても嫁には辛い瞬間が多いようです。ただ、私の目で見ても嫁にもなかなか進歩がないんです。嫁自体が我が強いし、自分の我を通そう、自分の意見の正当性を母に理解させて、「はい、分りました」、と言わせたいんだと思います。そして、それ以上に亭主である私に自分の頑張りを理解して欲しいのだと感じています。
私は嫁の考え方も意見が正しい事も、それが母の為を思って言っている事、行なっている事も全部分っています。
ただ、嫁が分っていない事が一つだけあります。一つだけなんです。それは、母には[我]しか残っていないんだという事です。
[母が我を通す、我を貫く事は唯一、自分が生きている、自分が存在している証し]なんです。
まだ、少しでも伸びる芽がある者と次々と枝葉を枯らしていくだけの老いいく者との違いを嫁には悟って欲しいと思います。これは、世の多くの嫁に言える事かも知れません。譲るべき、耐えるべきは常に若い側なんです。そこに初めて信頼が生まれるんです。
☆2008.8.12。この時期の母は不思議な事を言い出す。そして、[念]について。
8月旧盆、7月新盆って変なものです。家族によっては7月、8月と両方の実家に行く事もあるのでしょうか。人の都合が人の都合を呼んでしまいます。因みに長崎では旧盆が多いですね。
8月10日は親父の命日。昨年からは高齢の母を気遣う姉と兄は佐世保のお寺さんに出向いて法事を済ませるようにしています。
さて、このお盆の時期になると我家では不思議な事が起きます。それは、母が夜な夜ないろんな方の訪問を受ける事なんです。だから、母は朝食の時に、「夕べのお客さんを早く起こしてきなさい」、と言います。誰かが夢枕に立つんでしょうね。「もう、いいんじゃない。向こうに逝きましょうか」、という暗示を受けたと言うんです。「だから、その前に佐世保に帰って身辺を整理しないといけない」、と母が言います。
私はそうした事を否定はしません。お盆だからとかいうのではなく、意識の世界は絶対に存在していると信じているからです。これは、全然気持ちの悪いことでもありません。
私がよく使う言葉に、[念]というものがあります。互いの思いの事です。
この念こそが意識の世界なんです。念は思い、教え・・、等と置換する事ができます。
親が子を思い、子が親を思う。或いは、教師が遠い昔に卒業した生徒を思い。生徒は、「あの先生は今でもお元気なんだろうな」、と思う心などを言います。決して、互いが存命している、いないの事では無く、「いい先生だったな・・」、「いい父親だったよ・・・」、と既に旅立った人に対する思いだって[念]なんです。
そう考えれば、現世の我々に対する霊界からの[返事の念]だって存在しても不思議ではありません。
私達の周囲を見渡しても、「あの人はいろんな思いを残して亡くなったんだ」、と思えるような方は沢山いるはずです。誰かが誰かに[影響を残す事]だって[念]なんです。
要は、それを我々が感じる能力があるかないか、感じるような環境で暮らしているかいないかの事だと思うのです。
母は5人兄弟の末っ子です。48歳の若さで母親は旅立ち。父親もその5年後くらいに亡くしています。しかし、裕福だった母方の濱野一族の炭坑を引継いで経営に当っていた長男の河内進兄さんや弟の勇兄さんのお陰でお金に困ることはなく、長女のフサ子姉しゃまが母親代わりになり、私の母はこのフサ子さんの嫁ぎ先にまでついていっては、今度は甥や姪の面倒を見て恩返しをしています。母は本当に可愛がられていたんだな、と思います。
そうした母の過去を思った時、母には濱野一族や河内家の方々の様々な[念]が向けられているような気がするんです。
2004年頃の母は、「夜中に母親のライさんが足元に立っていた」、「松若さんが心配そうに私を見ていた」、とよく言ったものです。これ全てが[念]なんです。[念が念を呼ぶ]と言うか、私の母は両親や兄弟への思いをいつも持っています。だから、この時期、特にこうした現象が起きるのだろうと思います。
私の作品に[ホッホ]というのがありますが、これを作った頃は不思議な日が続きました。
「夕べは母ちゃまがニコニコ笑って足元に立っていたよ」、とか、「ここで暮らせて良かったね」、と言っていたと母が言うんです。
実は、今でもこの[ホッホ]という曲を私がコンサートで唄っている時、私は会った事もないライお祖母ちゃんの姿を会場の隅に見る事があるんです。私が歌詞に詰まった時は何かを見た瞬間かも知れません。この【母に生命を返す時】というものを作り始めて以降、ある時期からいろんなものの力を感じるようになったのは事実です。
☆ついでに、私の経験を・・。
私が経験した事でこんな事がありました。行った事もない兵庫県の某お寺の関係者から、熊本の私に電話があって、「やがて、貴方はお腹にメスを入れる事になる。それが貴方の最期になる」、と飛んでもない事を告げられました。普通だとこんな事言われたら怒りますよ。しかし、私はその電話の数ヶ月前から実際に胆嚢に異常があって追跡検査をしていたんですが、ドンドン大きくなっていたんです。
お寺さんからの話が面白いはずがありません。喉に何かが引っ掛かったような毎日を送ってはいけないと思った私は兵庫のそのお寺を訪ね、そうした霊力を持つというお坊さんに会いに行きました。そのお寺は人間の生霊を出してみせるという事で全国から悩み事で訪れる人が多いらしいのですが、こんな話は私は苦手なんです。
丁度、お昼の食事の時間、私はそのお坊さんが座っておられるテーブルに向かい、「ご一緒させて頂きます」、と告げて真向かいの席に着いてお茶を飲みながら話し掛けるタイミングを探していました。そのお坊さんは何度も私と目を合わせるのですが何にも言いません。
そこで、「私の命・・、どの辺まで持つのでしょうか?」、と切り出しました。本当に不思議な経験でした。全くの無表情なお坊さんでしたが、その時の会話を再現してみます。
暫くの間、私を凝視していたお坊さんは、「うん、本来なら貴方は現世にはいない人のようだが貴方は現世、過去世の実に多くの方々からの思いが掛けられていて、その強力な力が貴方をこの世に留めているようです」、と言われたんです。それも、「貴方は現世よりも過去世の方々からの信頼がとても厚く、その上に親族・縁者より全くの赤の他人の多くの霊が貴方を護ってくれていて、貴方は彼らの為に何かをするようになっている」、「早く気づいて欲しい」、と言われるんです。
「貴方は熊本からこのお寺を訪ねてくれました。死なせる訳にはいきません。入信なんかする必要もありません。私も頑張って貴方の延命嘆願をします。そして、貴方が私との幾つかの約束を守ってくれるのであれば、貴方は手術台の上で奇跡に出合う事ができます」、と言われたんです。この時の約束事は書けませんが、その二日後の手術台の上で、そして、院長の特別の配慮で用意された個室のベッドの上で私は凄い光景を見る事になるのです。
「あーっ、人間ってこうして生かされているんだ。現世を生きる我々にはこんな力が加わっているのか」、と思いました。丁度、天に漂う雲のように灰色の無数の霊体が私の目の前に出現していたのです。何か気持ちの悪くなるような表現ですが、そうではなく、それはとても温かいものでした。
同居6年目になっても嫁には辛い瞬間が多いようです。ただ、私の目で見ても嫁にもなかなか進歩がないんです。嫁自体が我が強いし、自分の我を通そう、自分の意見の正当性を母に理解させて、「はい、分りました」、と言わせたいんだと思います。そして、それ以上に亭主である私に自分の頑張りを理解して欲しいのだと感じています。
私は嫁の考え方も意見が正しい事も、それが母の為を思って言っている事、行なっている事も全部分っています。
ただ、嫁が分っていない事が一つだけあります。一つだけなんです。それは、母には[我]しか残っていないんだという事です。
[母が我を通す、我を貫く事は唯一、自分が生きている、自分が存在している証し]なんです。
まだ、少しでも伸びる芽がある者と次々と枝葉を枯らしていくだけの老いいく者との違いを嫁には悟って欲しいと思います。これは、世の多くの嫁に言える事かも知れません。譲るべき、耐えるべきは常に若い側なんです。そこに初めて信頼が生まれるんです。
☆2008.8.12。この時期の母は不思議な事を言い出す。そして、[念]について。
8月旧盆、7月新盆って変なものです。家族によっては7月、8月と両方の実家に行く事もあるのでしょうか。人の都合が人の都合を呼んでしまいます。因みに長崎では旧盆が多いですね。
8月10日は親父の命日。昨年からは高齢の母を気遣う姉と兄は佐世保のお寺さんに出向いて法事を済ませるようにしています。
さて、このお盆の時期になると我家では不思議な事が起きます。それは、母が夜な夜ないろんな方の訪問を受ける事なんです。だから、母は朝食の時に、「夕べのお客さんを早く起こしてきなさい」、と言います。誰かが夢枕に立つんでしょうね。「もう、いいんじゃない。向こうに逝きましょうか」、という暗示を受けたと言うんです。「だから、その前に佐世保に帰って身辺を整理しないといけない」、と母が言います。
私はそうした事を否定はしません。お盆だからとかいうのではなく、意識の世界は絶対に存在していると信じているからです。これは、全然気持ちの悪いことでもありません。
私がよく使う言葉に、[念]というものがあります。互いの思いの事です。
この念こそが意識の世界なんです。念は思い、教え・・、等と置換する事ができます。
親が子を思い、子が親を思う。或いは、教師が遠い昔に卒業した生徒を思い。生徒は、「あの先生は今でもお元気なんだろうな」、と思う心などを言います。決して、互いが存命している、いないの事では無く、「いい先生だったな・・」、「いい父親だったよ・・・」、と既に旅立った人に対する思いだって[念]なんです。
そう考えれば、現世の我々に対する霊界からの[返事の念]だって存在しても不思議ではありません。
私達の周囲を見渡しても、「あの人はいろんな思いを残して亡くなったんだ」、と思えるような方は沢山いるはずです。誰かが誰かに[影響を残す事]だって[念]なんです。
要は、それを我々が感じる能力があるかないか、感じるような環境で暮らしているかいないかの事だと思うのです。
母は5人兄弟の末っ子です。48歳の若さで母親は旅立ち。父親もその5年後くらいに亡くしています。しかし、裕福だった母方の濱野一族の炭坑を引継いで経営に当っていた長男の河内進兄さんや弟の勇兄さんのお陰でお金に困ることはなく、長女のフサ子姉しゃまが母親代わりになり、私の母はこのフサ子さんの嫁ぎ先にまでついていっては、今度は甥や姪の面倒を見て恩返しをしています。母は本当に可愛がられていたんだな、と思います。
そうした母の過去を思った時、母には濱野一族や河内家の方々の様々な[念]が向けられているような気がするんです。
2004年頃の母は、「夜中に母親のライさんが足元に立っていた」、「松若さんが心配そうに私を見ていた」、とよく言ったものです。これ全てが[念]なんです。[念が念を呼ぶ]と言うか、私の母は両親や兄弟への思いをいつも持っています。だから、この時期、特にこうした現象が起きるのだろうと思います。
私の作品に[ホッホ]というのがありますが、これを作った頃は不思議な日が続きました。
「夕べは母ちゃまがニコニコ笑って足元に立っていたよ」、とか、「ここで暮らせて良かったね」、と言っていたと母が言うんです。
実は、今でもこの[ホッホ]という曲を私がコンサートで唄っている時、私は会った事もないライお祖母ちゃんの姿を会場の隅に見る事があるんです。私が歌詞に詰まった時は何かを見た瞬間かも知れません。この【母に生命を返す時】というものを作り始めて以降、ある時期からいろんなものの力を感じるようになったのは事実です。
☆ついでに、私の経験を・・。
私が経験した事でこんな事がありました。行った事もない兵庫県の某お寺の関係者から、熊本の私に電話があって、「やがて、貴方はお腹にメスを入れる事になる。それが貴方の最期になる」、と飛んでもない事を告げられました。普通だとこんな事言われたら怒りますよ。しかし、私はその電話の数ヶ月前から実際に胆嚢に異常があって追跡検査をしていたんですが、ドンドン大きくなっていたんです。
お寺さんからの話が面白いはずがありません。喉に何かが引っ掛かったような毎日を送ってはいけないと思った私は兵庫のそのお寺を訪ね、そうした霊力を持つというお坊さんに会いに行きました。そのお寺は人間の生霊を出してみせるという事で全国から悩み事で訪れる人が多いらしいのですが、こんな話は私は苦手なんです。
丁度、お昼の食事の時間、私はそのお坊さんが座っておられるテーブルに向かい、「ご一緒させて頂きます」、と告げて真向かいの席に着いてお茶を飲みながら話し掛けるタイミングを探していました。そのお坊さんは何度も私と目を合わせるのですが何にも言いません。
そこで、「私の命・・、どの辺まで持つのでしょうか?」、と切り出しました。本当に不思議な経験でした。全くの無表情なお坊さんでしたが、その時の会話を再現してみます。
暫くの間、私を凝視していたお坊さんは、「うん、本来なら貴方は現世にはいない人のようだが貴方は現世、過去世の実に多くの方々からの思いが掛けられていて、その強力な力が貴方をこの世に留めているようです」、と言われたんです。それも、「貴方は現世よりも過去世の方々からの信頼がとても厚く、その上に親族・縁者より全くの赤の他人の多くの霊が貴方を護ってくれていて、貴方は彼らの為に何かをするようになっている」、「早く気づいて欲しい」、と言われるんです。
「貴方は熊本からこのお寺を訪ねてくれました。死なせる訳にはいきません。入信なんかする必要もありません。私も頑張って貴方の延命嘆願をします。そして、貴方が私との幾つかの約束を守ってくれるのであれば、貴方は手術台の上で奇跡に出合う事ができます」、と言われたんです。この時の約束事は書けませんが、その二日後の手術台の上で、そして、院長の特別の配慮で用意された個室のベッドの上で私は凄い光景を見る事になるのです。
「あーっ、人間ってこうして生かされているんだ。現世を生きる我々にはこんな力が加わっているのか」、と思いました。丁度、天に漂う雲のように灰色の無数の霊体が私の目の前に出現していたのです。何か気持ちの悪くなるような表現ですが、そうではなく、それはとても温かいものでした。
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