2009年03月03日
♪:同居記録:109
☆ 2008.11.10。魂の触れ合い。僅かな言葉で意を汲む。家族は意訳の努力を!
今朝のデイ。施設に着いて出されたお茶を飲みながら母が、「ほら・あの四角い・・何きゃ・、赤と・・、・・青かね・・、黒」、と要領を得ない事を言い出します。母はうまく喋れない自分に苛立つ表情である方向を指差していました。
この瞬間、私は体中の神経にアドレナリンを浸透させます。そして、昨日のデイでの母の開口一番の言葉。先週、先々週、日頃の母のデイでの朝一番の言葉をポンポンポンポンと思い出すように努力します。
お茶、血圧測定、壁に貼られた1週間分のお昼ご飯のメニュー、TV、朝日、眩しい、気持ちいい・・、等々。母がデイにつくなり話題にする事を私は頭の本棚に並べるのです。そうすると「ほら・あの四角い・・何きゃ・、赤と・・、・・青かね・・、黒」、と言う母の言葉が理解できるのです。
「そうね、仕方ないさ。95歳だし。見えるようになりたかったら晩ご飯の時に塩分を摂り過ぎんようにせんとね」、と答えました。「はれっ!、・・あんたは何で私が言いたかった事が分かるとね?」、と嬉しそうに言います。
母が言いたかったのは、「私はあの柱に貼ってある赤や青、黒で書かれたカレンダーの文字がさっぱり見えんとよ」、と私に言いたかったのです。
現在の母からは壁や柱、カレンダーというモノの名前が消えてしまっている日が多く、たったそれだけの事ですが、日常生活を語れなくなっていて、今後、この傾向は更に激しくなっていくんだろう、と思います。
・母は壁の面を白い四角い・・、と言っては壁という表現を忘れています。
・カレンダーという表現が出来ません。・柱の事も細長い四角あ上から下に・・、と表現します。
・出されたお茶を「飲みなさい」、と私に勧めます。
・母は施設のフロアに置かれたTVを、「ほら、あの四角い・・動いているモノ、・・私に はさっぱり見えん」、とよく言います。
・お日様が眩しい。あの白い・・、寄せてきておくれ、と朝日が眩しいから白いカーテン を閉めて来いとよく命じます。
このように、デイ施設につくなり母が口にする言葉を思い出しているうちに、私はその日の朝に言いたかった事が理解できるのです。
介護ってこの辺のメンテが整備されていません。ある種の通訳ですね。意訳と言えるのでしょうか?。言葉を失う一方の失語者(発語障害)を元に戻そうとするリハビリはあるのですが、私は母を見ていて無理だと思います。
元に戻すというのは、脳が成長していく一方の子供に対しては有効でしょうが、萎縮していく一方のご老人には不可能だと思います。私が在宅介護に拘るのは、この部分なんです。心の触れ合いなんです。
多くの専門家は言葉が通じなければ触れ合いはできない、と思われるでしょう。しかし、言葉が通じなくとも理解し合う事が不可能ではありません。それが、「意を汲む」、という会話方法です。
言葉での触れ合いではなく、魂の触れ合いです。最近の母が苛ついている理由の多くは発語障害に気づいているからなんです。思っている事を喋れない、モノの名前が出てこない、というのは辛いものです。今の母からは季節や時間の観念、肌で感じる時間経過の能力もなくなっています。
極端に言えば、朝起きて入れ歯を填める際、1回外したて填め直そうとしたら最後、その瞬間に、「デイから帰って入歯を磨いたから、・・後は晩ご飯を食べて寝て・・」、という感覚に陥ったりする状況の朝さえあれます。
嫁は気づいていると思うのですが、最近の私が心掛けている事の一つに、「寒くないか、痛くないか、お腹が減っていないか、うんちは、おしっこは、(デイに行くには)まだ、ちょっと早いからね、(居間に)来てみるかい、(部屋に)戻るかい・・・、といった話し掛けをする事があります。
母の側からすると、この話し掛けをして貰う事で、「寒い、寒くはない。痛い、痛くない」、といった意思表示がし易くなると思ったからです。何より、たとえ短くとも会話が成立しますからね。こうした事は在宅介護だからこそ可能になるのです。
♪:心の色
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今朝のデイ。施設に着いて出されたお茶を飲みながら母が、「ほら・あの四角い・・何きゃ・、赤と・・、・・青かね・・、黒」、と要領を得ない事を言い出します。母はうまく喋れない自分に苛立つ表情である方向を指差していました。
この瞬間、私は体中の神経にアドレナリンを浸透させます。そして、昨日のデイでの母の開口一番の言葉。先週、先々週、日頃の母のデイでの朝一番の言葉をポンポンポンポンと思い出すように努力します。
お茶、血圧測定、壁に貼られた1週間分のお昼ご飯のメニュー、TV、朝日、眩しい、気持ちいい・・、等々。母がデイにつくなり話題にする事を私は頭の本棚に並べるのです。そうすると「ほら・あの四角い・・何きゃ・、赤と・・、・・青かね・・、黒」、と言う母の言葉が理解できるのです。
「そうね、仕方ないさ。95歳だし。見えるようになりたかったら晩ご飯の時に塩分を摂り過ぎんようにせんとね」、と答えました。「はれっ!、・・あんたは何で私が言いたかった事が分かるとね?」、と嬉しそうに言います。
母が言いたかったのは、「私はあの柱に貼ってある赤や青、黒で書かれたカレンダーの文字がさっぱり見えんとよ」、と私に言いたかったのです。
現在の母からは壁や柱、カレンダーというモノの名前が消えてしまっている日が多く、たったそれだけの事ですが、日常生活を語れなくなっていて、今後、この傾向は更に激しくなっていくんだろう、と思います。
・母は壁の面を白い四角い・・、と言っては壁という表現を忘れています。
・カレンダーという表現が出来ません。・柱の事も細長い四角あ上から下に・・、と表現します。
・出されたお茶を「飲みなさい」、と私に勧めます。
・母は施設のフロアに置かれたTVを、「ほら、あの四角い・・動いているモノ、・・私に はさっぱり見えん」、とよく言います。
・お日様が眩しい。あの白い・・、寄せてきておくれ、と朝日が眩しいから白いカーテン を閉めて来いとよく命じます。
このように、デイ施設につくなり母が口にする言葉を思い出しているうちに、私はその日の朝に言いたかった事が理解できるのです。
介護ってこの辺のメンテが整備されていません。ある種の通訳ですね。意訳と言えるのでしょうか?。言葉を失う一方の失語者(発語障害)を元に戻そうとするリハビリはあるのですが、私は母を見ていて無理だと思います。
元に戻すというのは、脳が成長していく一方の子供に対しては有効でしょうが、萎縮していく一方のご老人には不可能だと思います。私が在宅介護に拘るのは、この部分なんです。心の触れ合いなんです。
多くの専門家は言葉が通じなければ触れ合いはできない、と思われるでしょう。しかし、言葉が通じなくとも理解し合う事が不可能ではありません。それが、「意を汲む」、という会話方法です。
言葉での触れ合いではなく、魂の触れ合いです。最近の母が苛ついている理由の多くは発語障害に気づいているからなんです。思っている事を喋れない、モノの名前が出てこない、というのは辛いものです。今の母からは季節や時間の観念、肌で感じる時間経過の能力もなくなっています。
極端に言えば、朝起きて入れ歯を填める際、1回外したて填め直そうとしたら最後、その瞬間に、「デイから帰って入歯を磨いたから、・・後は晩ご飯を食べて寝て・・」、という感覚に陥ったりする状況の朝さえあれます。
嫁は気づいていると思うのですが、最近の私が心掛けている事の一つに、「寒くないか、痛くないか、お腹が減っていないか、うんちは、おしっこは、(デイに行くには)まだ、ちょっと早いからね、(居間に)来てみるかい、(部屋に)戻るかい・・・、といった話し掛けをする事があります。
母の側からすると、この話し掛けをして貰う事で、「寒い、寒くはない。痛い、痛くない」、といった意思表示がし易くなると思ったからです。何より、たとえ短くとも会話が成立しますからね。こうした事は在宅介護だからこそ可能になるのです。
♪:心の色
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この記事へのトラックバックURL
http://haha.noramba.net/t11175

