2009年03月01日
♪:同居記録:107
☆2008.11.7。人生、誰だって現在が[今際・イマワ]。
認知って、様々な症状があるんでしょうね。育った環境、生きた時代、そして現在の環境・・、そして、今は誰と生きているかによっても大きく違ってくるのでしょうか?。認知の出方は誰と会話するか、誰と生きているかによって違うものでしょうね。
一体、私達は記憶というものをどのように捉えているんでしょう。例えば、受験勉強などでは非日常的なモノを記憶する事が多いですよね。化学式だとか、歴史にしてもそうだし、この受験で要求されている設問内容には知っていて得する事もあるんですが、その知っている事が日常的に必要かと言うと、そうではないものが出題される事が多いものです。
現実に私は計算音痴。幼い頃の長い闘病生活のお陰で算数が苦手。でも、現実の暮らしでは電卓という便利なグッズのお陰で理屈が分かれば計算方法が分かります。つまり、公式を作ることができます。公式ってものの理屈ですから、それを作ることができる人間は経営者をやっていけるんです。だから、算数ができなくたって生きていけない訳じゃありません。だから、高校入試、大学入試なんてものは特別に社会性を要求されるものではありませんね。単に人を選抜する為の手段、狭い範囲での記憶力の試しに過ぎません。試験問題では基本的に記憶力と応用の試し、が出されるんですね。
つまり、一度はどこかで習ったはずのものが出題されるのであって、決して、「食事の後には歯を磨くべきですか?、歯なんて磨くべきではありませんか?。などという問題が出るはずがありませんよね。正常な人の物忘れと、認知でいうもの忘れの違いはそこなんですね。
私達は常に無意識の記憶と共に生きてきているのですが、受験時に要求される意識的な記憶ではなく、無意識の記憶というものに障害が出るのが認知症なんですね。
私の母のケースを言えば、箸や茶碗の持ち方や配置を忘れたり、ボタンの外し方が分からなくなったり、買ってきたんだよ、と幾ら説明しても、「私の服じゃないよ」、と言い張ったり、着たばかりの服を脱いだりします。
お刺身だけではなく、湯飲み茶碗にまで醤油を入れて飲もうとしたり、Pトイレでおしっこをした後にロールテイッシュで拭くのを忘れたり、手を洗うのを忘れたり、お風呂の事を考えるだけで既に入浴したかのような気になったり・・、例を挙げればキリがありませんが、日常的に無意識に記憶していたはずの事を次々に忘れていくのが認知で言うモノ忘れなんだと思います。
悲しい事ですが・・、母はこの無意識の記憶。換言すれば生活力というものの多くを忘れ去っています。
巻き寿司の作り方、塩辛の作り方、高野豆腐の美味しい出汁のとり方、梅干の塩加減、ラッキョウ酢の塩加減、隼人瓜の美味しい食べ方・・、もう・・、キリがないですね。
あれ程に拘りがあったはずのお料理の事を無意識、意識の双方の世界で忘れ去っています。
責めてはいけません。決して責めてはいないのですが、私の中から少しづつ母の威厳が消えていくのです。母の威厳というものが消えていくと私は母を少しずつ馬鹿にするのです。
馬鹿にしてはいけない、と思うのですが・・。冷静な私の事ですから、そんな自分を観察する自分が居て・・、「詰まらん奴だな、お前は!」、と私を叱ります。何で、そこまで人の老いを責め、馬鹿にし、揚げ足をとるような言葉使いをしたりするんだ!、と思います。
今更、何だ。つまらん詩など書きやがって・・、あれは全部嘘だったのか、と責める私が居ます。老いというものを余りにも浅く考えていたのだと思います。最近、ずっと考えるようになりました。究極の誠意ってなんだろう・・・、と。
♪:ふる里へ帰ろう
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☆2008.11.9。預けたカーデガンが取り違えられ母が激怒。
♪:母のクーデター
昨日の事。午後からデイ施設へ母を迎えに行った際、いつものにこやかな表情とは違って母が異常に興奮していたんです。「とんでもない。とんでもない事。皆で私を無視して、私の言うことを聞こうともしない・・・、と怒っているんです。
母の話によると、着ていたカーデイガンを、「暑いでしょっ」、と施設の介護士さんが持っていったのはいいが、午後から戻ってきたのは違うモノだと言うんです。
「あーっ、気持ちが悪い」、と母は茶色の厚手のカーデイガンの匂いさえ嗅いでいます。私には母が朝から着ていたモノと同じモノに見えるのですが、「違う!」、と母は言い張ります。
「ザッとしとるお前なんかにゃ分からん事さ」、と皮肉さえ言います。
母と同居をする以前は朝からはスーツを着る事が多かったのですが、今は一年中ジーンズにシャツ姿。家でもTシャツか良くて作務衣程度しか着ない私のセンスを母は言っているんです。
散々、車の中で毒つく母は、服がすり替わった事はまるで私に理由があるかのように責任転嫁をしているようでした。帰宅後も興奮が冷めない母をなだめすかして横にするのですが、ブツブツブツブツと言葉を繋いでは、「えーい」、とか言っていました。余程、悔しかったのでしょうね。処が、実は母の言う事が事実だったのです。
16:00過ぎに帰宅した嫁が、「尚さん、お義母さんの上着が着ていったモノとは違うよっ。あれは私が買ってきたんだから覚えている」、と言うんです。色も素材も同じで、織り方も一緒。でも、袖口のデザインが全く違うというんです。
母は母で、「もし、私の服が戻ってきても着るのは嫌さ。棄てておしまいっ」、っとキッと目を見開いて怒りを現しているじゃないですか。これには恐れ入りました。
こうした間違いは施設というより、個々の介護士さんの意識レベルの問題に過ぎないのです。でも、この個々の意識が施設の評判を上げたり下げたりするのだからお互いの仕事振りには関心を寄せ合いたいものです。間違いは誰にだってあります。「認知症の老婆の事、間違いを言うのはいつもの事」、と決めつけてしまえば余りにもお年寄りが哀れです。お年寄りって真心を感じる能力は私達よりも持っていますからね。
骨折してN病院に入院していた頃には違う人の入歯が母に填められた事さえありました。この入歯事件では私は猛烈に病院に抗議しました。母は歯茎を傷つけていたんです。でも、この抗議の後の母に出される食事は全てが豆腐料理ばかり。
「歯茎は痛まなくなったから元通りの食事を出して貰って結構です」、と頼んでも出るのは豆腐料理ばかり・・。母は約3ヶ月間も豆腐を食べていたんです。
「母が痛いというのは骨折部分ではなく、捲き爪が痛いと言う意味なんです」、と説明するのに母の足首のレントゲンが何度撮影された事か・・。
「尚宏、あそこは地獄よ・・」、退院直後の母が言っていたのを思い出します。お年寄りに年齢以上の老いを自覚させる病院、施設は駄目ですね。
N病院では、「これ以上、私に生きていけって言うのか?」、と母はよく言っていました。お年寄りのプライドは大切にしてあげたいと思います。
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認知って、様々な症状があるんでしょうね。育った環境、生きた時代、そして現在の環境・・、そして、今は誰と生きているかによっても大きく違ってくるのでしょうか?。認知の出方は誰と会話するか、誰と生きているかによって違うものでしょうね。
一体、私達は記憶というものをどのように捉えているんでしょう。例えば、受験勉強などでは非日常的なモノを記憶する事が多いですよね。化学式だとか、歴史にしてもそうだし、この受験で要求されている設問内容には知っていて得する事もあるんですが、その知っている事が日常的に必要かと言うと、そうではないものが出題される事が多いものです。
現実に私は計算音痴。幼い頃の長い闘病生活のお陰で算数が苦手。でも、現実の暮らしでは電卓という便利なグッズのお陰で理屈が分かれば計算方法が分かります。つまり、公式を作ることができます。公式ってものの理屈ですから、それを作ることができる人間は経営者をやっていけるんです。だから、算数ができなくたって生きていけない訳じゃありません。だから、高校入試、大学入試なんてものは特別に社会性を要求されるものではありませんね。単に人を選抜する為の手段、狭い範囲での記憶力の試しに過ぎません。試験問題では基本的に記憶力と応用の試し、が出されるんですね。
つまり、一度はどこかで習ったはずのものが出題されるのであって、決して、「食事の後には歯を磨くべきですか?、歯なんて磨くべきではありませんか?。などという問題が出るはずがありませんよね。正常な人の物忘れと、認知でいうもの忘れの違いはそこなんですね。
私達は常に無意識の記憶と共に生きてきているのですが、受験時に要求される意識的な記憶ではなく、無意識の記憶というものに障害が出るのが認知症なんですね。
私の母のケースを言えば、箸や茶碗の持ち方や配置を忘れたり、ボタンの外し方が分からなくなったり、買ってきたんだよ、と幾ら説明しても、「私の服じゃないよ」、と言い張ったり、着たばかりの服を脱いだりします。
お刺身だけではなく、湯飲み茶碗にまで醤油を入れて飲もうとしたり、Pトイレでおしっこをした後にロールテイッシュで拭くのを忘れたり、手を洗うのを忘れたり、お風呂の事を考えるだけで既に入浴したかのような気になったり・・、例を挙げればキリがありませんが、日常的に無意識に記憶していたはずの事を次々に忘れていくのが認知で言うモノ忘れなんだと思います。
悲しい事ですが・・、母はこの無意識の記憶。換言すれば生活力というものの多くを忘れ去っています。
巻き寿司の作り方、塩辛の作り方、高野豆腐の美味しい出汁のとり方、梅干の塩加減、ラッキョウ酢の塩加減、隼人瓜の美味しい食べ方・・、もう・・、キリがないですね。
あれ程に拘りがあったはずのお料理の事を無意識、意識の双方の世界で忘れ去っています。
責めてはいけません。決して責めてはいないのですが、私の中から少しづつ母の威厳が消えていくのです。母の威厳というものが消えていくと私は母を少しずつ馬鹿にするのです。
馬鹿にしてはいけない、と思うのですが・・。冷静な私の事ですから、そんな自分を観察する自分が居て・・、「詰まらん奴だな、お前は!」、と私を叱ります。何で、そこまで人の老いを責め、馬鹿にし、揚げ足をとるような言葉使いをしたりするんだ!、と思います。
今更、何だ。つまらん詩など書きやがって・・、あれは全部嘘だったのか、と責める私が居ます。老いというものを余りにも浅く考えていたのだと思います。最近、ずっと考えるようになりました。究極の誠意ってなんだろう・・・、と。
♪:ふる里へ帰ろう
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☆2008.11.9。預けたカーデガンが取り違えられ母が激怒。
♪:母のクーデター
昨日の事。午後からデイ施設へ母を迎えに行った際、いつものにこやかな表情とは違って母が異常に興奮していたんです。「とんでもない。とんでもない事。皆で私を無視して、私の言うことを聞こうともしない・・・、と怒っているんです。
母の話によると、着ていたカーデイガンを、「暑いでしょっ」、と施設の介護士さんが持っていったのはいいが、午後から戻ってきたのは違うモノだと言うんです。
「あーっ、気持ちが悪い」、と母は茶色の厚手のカーデイガンの匂いさえ嗅いでいます。私には母が朝から着ていたモノと同じモノに見えるのですが、「違う!」、と母は言い張ります。
「ザッとしとるお前なんかにゃ分からん事さ」、と皮肉さえ言います。
母と同居をする以前は朝からはスーツを着る事が多かったのですが、今は一年中ジーンズにシャツ姿。家でもTシャツか良くて作務衣程度しか着ない私のセンスを母は言っているんです。
散々、車の中で毒つく母は、服がすり替わった事はまるで私に理由があるかのように責任転嫁をしているようでした。帰宅後も興奮が冷めない母をなだめすかして横にするのですが、ブツブツブツブツと言葉を繋いでは、「えーい」、とか言っていました。余程、悔しかったのでしょうね。処が、実は母の言う事が事実だったのです。
16:00過ぎに帰宅した嫁が、「尚さん、お義母さんの上着が着ていったモノとは違うよっ。あれは私が買ってきたんだから覚えている」、と言うんです。色も素材も同じで、織り方も一緒。でも、袖口のデザインが全く違うというんです。
母は母で、「もし、私の服が戻ってきても着るのは嫌さ。棄てておしまいっ」、っとキッと目を見開いて怒りを現しているじゃないですか。これには恐れ入りました。
こうした間違いは施設というより、個々の介護士さんの意識レベルの問題に過ぎないのです。でも、この個々の意識が施設の評判を上げたり下げたりするのだからお互いの仕事振りには関心を寄せ合いたいものです。間違いは誰にだってあります。「認知症の老婆の事、間違いを言うのはいつもの事」、と決めつけてしまえば余りにもお年寄りが哀れです。お年寄りって真心を感じる能力は私達よりも持っていますからね。
骨折してN病院に入院していた頃には違う人の入歯が母に填められた事さえありました。この入歯事件では私は猛烈に病院に抗議しました。母は歯茎を傷つけていたんです。でも、この抗議の後の母に出される食事は全てが豆腐料理ばかり。
「歯茎は痛まなくなったから元通りの食事を出して貰って結構です」、と頼んでも出るのは豆腐料理ばかり・・。母は約3ヶ月間も豆腐を食べていたんです。
「母が痛いというのは骨折部分ではなく、捲き爪が痛いと言う意味なんです」、と説明するのに母の足首のレントゲンが何度撮影された事か・・。
「尚宏、あそこは地獄よ・・」、退院直後の母が言っていたのを思い出します。お年寄りに年齢以上の老いを自覚させる病院、施設は駄目ですね。
N病院では、「これ以上、私に生きていけって言うのか?」、と母はよく言っていました。お年寄りのプライドは大切にしてあげたいと思います。
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