2009年02月23日
♪:同居記録:101
☆2008.10.29。母と百円玉、50円玉、10円玉、5円玉。
昨年11月、母が要介護度4に認定されたのですが、保健センターから来られかた方が私に母の日常を質問され、母に対してもいろんな聞き取りをされていました。この様子をそばで見ていた私は随分と勉強になりました。私から見たその日の母は非常にハイテンションで、普段に較べると物分かりが良く、昔の話から現在の自分の状態など、記憶の行ったり来たりをしながらでも、「ああ、そうか。そうだったね。そうそう」、と私達との会話が進む日ではあったんです。しかし、それであっても母の認知は進んでいるというご説明でした。
この認定が上がるには痛し痒しの部分があって、国からの介護保険適用の範囲や点数が高くなって介護事業所にとってはいろんなサービスを与えやすくなるのですが、個人で負担するオプションなども同時にそれまでよりも高く計算されるようになるんです。
寝たきりの生活に近づくにつれて、介護が楽になるような気もしていますが、逆に利用料金が一様に高くなるんですよね。
要介護度は2なのに両足股関節に骨折したままのお年寄りのほうが介護自体は大変だと思うのですが・・、介護制度って見直すところは一杯あるようです。
この日の母の様子からすると、もしかすると母は3から2に戻されるのかな、という僅かな希望を私は抱いていたんですが、流石に認定の専門家だなと思いました。
コインを使った母の能力検査で母は情けないくらいの状態になっていたのです。この場面、私は姉や兄にも見せたかったですね。
母の目の前に全額で¥195のコインが並べられました。百円玉一枚、50円玉一枚、10円玉4枚、5円玉1枚ですが、母はこの計算が出来ませんでした。何回やっても出来ません。百円玉と50円玉が同じに思える母は¥245と答えます。
違いますよ、と言われると。次の母は¥145と答えます。
間違いですね、と言われた母は¥150と答えました。
目が見える見えていないではなく、はっきりと見えてはいるんです。なのに、母は見えない、と言います。確かに、左目は失明してはいますが右目では何となく見えているんです。落ちついて見れば動かないモノであれば見えるのです。母は分からなくなった時にも見えないというんですね。
百円玉と50円玉が同じだと言う時の母は色で区別しているんです。50円玉と5円玉が同じだと思う時の母はコインの穴で区別しているんです。多分、テーブルに1円玉を並べたとしたら母はパニックになっていただろうと思います。
次に色にも穴の有無でも区別をしてはいけませんよ、と告げた後に正解の¥195を並べて見せてバラバラにします。そこで、では正解の¥195になるように並べて下さい、と言っても母には出来ません。やはり¥245だったり、¥145になっていたり、150になってしまいます。計算ができないだけではなく、正解を教えたのにその通りにできないというのは周囲の言う言葉が理解できていないのです。これは聞く耳を持たないとか、頑固とかいう事とは別なものらしいですね。
明らかに形が違う丸い白い飴玉と丸くなりかけた白い消しゴムの区別ができずに口に運ぶ危険があるんです。仮に凸凹にしながらででも母が自分でリンゴを向いたとして、右手に縦に持ったナイフの事を忘れ、リンゴを口に運ぶ事だけを考える母がリンゴを食べようとして持ったままのナイフを自分の右目に突き刺す危険があるんです。
この検査で分かった事は、二つの事は勿論、分かり切った一つの事をやろうとしても、やり始めた途端に何をしようとしたか自体を瞬時に忘れてしまっている、という母の姿でした。
「尚宏、ちょっとあんたにさ・・」、と母が部屋で呼ぶからと、「ホイホイ」、と駆け付けた途端、「あんたは何しに来たのね」、と、母は2秒前に私を呼んだ事すら覚えてはいません。 かと言って、「・・でね、昨日のイカのお刺身だけどね・・」、と突然に言い始めます。「何さ、昨日っていつの事よ?。お刺身なんて食べちゃおらんよ」、と返事をしたら最後、猛烈に怒るんです。
多分、姉なら、「話を合わせておくものよ」、と言うのでしょうが、そんなことしたら大変です。合わせたら最後、89年くらい時代を遡った歌が浦のある日の夕食に松若お父ちゃまが手造りしてくれたイカの刺身の話だったりするんです。
母がアンタと呼ぶ私は松若お父ちゃまだった事が想像できるのです。しかし、そうであれば、母が父親をアンタと呼ぶはずがありません。多分、話の切っ掛けが現在であって、部屋に顔を出した私の表情や態度や声が父親の松若さんやイサム兄シャマに似ていて、瞬間的にポンっと記憶が昔に飛んでいくのでしょうか?。母が要介護3から4に認定された昨年のこの時期を思い出してみました
♪:潮騒の町
昨年11月、母が要介護度4に認定されたのですが、保健センターから来られかた方が私に母の日常を質問され、母に対してもいろんな聞き取りをされていました。この様子をそばで見ていた私は随分と勉強になりました。私から見たその日の母は非常にハイテンションで、普段に較べると物分かりが良く、昔の話から現在の自分の状態など、記憶の行ったり来たりをしながらでも、「ああ、そうか。そうだったね。そうそう」、と私達との会話が進む日ではあったんです。しかし、それであっても母の認知は進んでいるというご説明でした。
この認定が上がるには痛し痒しの部分があって、国からの介護保険適用の範囲や点数が高くなって介護事業所にとってはいろんなサービスを与えやすくなるのですが、個人で負担するオプションなども同時にそれまでよりも高く計算されるようになるんです。
寝たきりの生活に近づくにつれて、介護が楽になるような気もしていますが、逆に利用料金が一様に高くなるんですよね。
要介護度は2なのに両足股関節に骨折したままのお年寄りのほうが介護自体は大変だと思うのですが・・、介護制度って見直すところは一杯あるようです。
この日の母の様子からすると、もしかすると母は3から2に戻されるのかな、という僅かな希望を私は抱いていたんですが、流石に認定の専門家だなと思いました。
コインを使った母の能力検査で母は情けないくらいの状態になっていたのです。この場面、私は姉や兄にも見せたかったですね。
母の目の前に全額で¥195のコインが並べられました。百円玉一枚、50円玉一枚、10円玉4枚、5円玉1枚ですが、母はこの計算が出来ませんでした。何回やっても出来ません。百円玉と50円玉が同じに思える母は¥245と答えます。
違いますよ、と言われると。次の母は¥145と答えます。
間違いですね、と言われた母は¥150と答えました。
目が見える見えていないではなく、はっきりと見えてはいるんです。なのに、母は見えない、と言います。確かに、左目は失明してはいますが右目では何となく見えているんです。落ちついて見れば動かないモノであれば見えるのです。母は分からなくなった時にも見えないというんですね。
百円玉と50円玉が同じだと言う時の母は色で区別しているんです。50円玉と5円玉が同じだと思う時の母はコインの穴で区別しているんです。多分、テーブルに1円玉を並べたとしたら母はパニックになっていただろうと思います。
次に色にも穴の有無でも区別をしてはいけませんよ、と告げた後に正解の¥195を並べて見せてバラバラにします。そこで、では正解の¥195になるように並べて下さい、と言っても母には出来ません。やはり¥245だったり、¥145になっていたり、150になってしまいます。計算ができないだけではなく、正解を教えたのにその通りにできないというのは周囲の言う言葉が理解できていないのです。これは聞く耳を持たないとか、頑固とかいう事とは別なものらしいですね。
明らかに形が違う丸い白い飴玉と丸くなりかけた白い消しゴムの区別ができずに口に運ぶ危険があるんです。仮に凸凹にしながらででも母が自分でリンゴを向いたとして、右手に縦に持ったナイフの事を忘れ、リンゴを口に運ぶ事だけを考える母がリンゴを食べようとして持ったままのナイフを自分の右目に突き刺す危険があるんです。
この検査で分かった事は、二つの事は勿論、分かり切った一つの事をやろうとしても、やり始めた途端に何をしようとしたか自体を瞬時に忘れてしまっている、という母の姿でした。
「尚宏、ちょっとあんたにさ・・」、と母が部屋で呼ぶからと、「ホイホイ」、と駆け付けた途端、「あんたは何しに来たのね」、と、母は2秒前に私を呼んだ事すら覚えてはいません。 かと言って、「・・でね、昨日のイカのお刺身だけどね・・」、と突然に言い始めます。「何さ、昨日っていつの事よ?。お刺身なんて食べちゃおらんよ」、と返事をしたら最後、猛烈に怒るんです。
多分、姉なら、「話を合わせておくものよ」、と言うのでしょうが、そんなことしたら大変です。合わせたら最後、89年くらい時代を遡った歌が浦のある日の夕食に松若お父ちゃまが手造りしてくれたイカの刺身の話だったりするんです。
母がアンタと呼ぶ私は松若お父ちゃまだった事が想像できるのです。しかし、そうであれば、母が父親をアンタと呼ぶはずがありません。多分、話の切っ掛けが現在であって、部屋に顔を出した私の表情や態度や声が父親の松若さんやイサム兄シャマに似ていて、瞬間的にポンっと記憶が昔に飛んでいくのでしょうか?。母が要介護3から4に認定された昨年のこの時期を思い出してみました
♪:潮騒の町
この記事へのトラックバックURL
http://haha.noramba.net/t11167

