2009年02月20日

♪:同居記録:98

☆2008.10.26。一昨日、約3ヶ月振りに長崎から姉が。紘子の事を少し・・。

一昨日の10.25は長崎の姉が約3ヶ月振りに来熊し、写真片手に母との話が弾んでいました。姉の一番末の子になる亘君の東京での披露宴の様子、お嫁さんやご両親の人柄などを母に説明するのですが、果たしてどの辺まで理解したのやら。今年は次男の滋君の披露宴もありましたし、勤務先の日立金属からの指示でアメリカ研修中の長男・悟君の招待でアメリカを長男と旅した姉夫婦です。この孝行息子達に囲まれた姉夫婦は、さぞや思い深く生涯に渡り姉夫婦を支えるであろう感慨深い出来事の続く一年になっているものと思います。この子育てに関しては姉は素晴らしい親であると私は尊敬してやみません。

この姉、多分本人は気づいてはいないと思うのですが、私のケースとは全く違うのですが、姉こそが突然の炭坑の閉山による我が家で一番の犠牲者なんです。

あれだけ学問が大好きで優秀だった姉。教師を始めとして周囲の誰もが紘子の大学進学を疑わなかったのに姉は進学を断念して就職を選択しました。理由は我が家の苦しい家計を助ける為でした(まるで、星飛雄馬の姉みたい/少し似ています)。

姉の中学時の卒業写真には周囲の全ての生徒たちが制服を着ているというのに姉だけが質素な私服姿なんです。
私の姉は高校も奨学金で卒業しました。今と違って当時の日本は貧乏な国ですから奨学金を受けるというのは厳しい審査があり、簡単には貰う事ができない時代なんです。
この姉は高卒後に銀行へ就職しても尚、更に上のランクを目指して当時10倍とか言われた難関の米軍基地の採用試験に通り、総務の仕事を担当する事になります。

お蔭様で我が家の茶の間にはTVが。台所には電子レンジにトースター、冷蔵庫が加わり、浴室には最新型の洗濯機というものが置かれました。

母は・・、ずっとずっと姉には詫びと感謝の気持ちを持っていました。この熊本の我が家に来てからの母でさえ、認知が進んで要介護度が2から3へ。そして、3から4になった今でも母は長女の紘子への詫びと感謝の言葉を口にする日があります。

「私はネ、紘子には親らしい事を何にもしてやっていないとよ。学校に来ていく服もカバンもボロボロを着せて、持たせて・・、それが申し訳なくて、思い出すと今でも私は悲しくて堪らんとよ。紘子、ごめんね、ごめんねと手を合わすっとさ」、と涙さえ流す日があるんです。

父は、「女が勉強ばかりして・・」、と言っていたそうですが、やがて、紘子は自分に似た子だな、と言いだして自慢さえするようになったそうです。

この姉は米軍基地に務める傍ら、ある将校さんの家庭で子供相手に英語を学ぶ機会を得ます。英語を基本から学ぶには子供の使う短い日常語から入るのが一番なんです。「あたいおしっこしたい。だから、ひろこトイレに連れてって」、みたいな感じですね・。

こうして姉は英語を自由に操る事への憧れを強くしていくのです。そして、ついに当時の毎日新聞が募集した1000ドルヨーロッパ旅行というツアーに参加したりする積極性を発揮したりしました。当時の為替レートは1ドル=¥360ですから現在のレートからすると大金です。

こんな事を思い起こす時、私の姉・紘子は父が遣り残したヨーロッパ生活までカバリングしているんです。来熊する姉と話していると、まるで姉は父と私の間の通約者のように思えるのはそのような姉の行動力が父の像を私の脳裏に描かせる瞬間があるからかも知れません。そして、衝突する事が多いのも私と父との大きな人生観の違いなんだと思わされるのです。
しかし、姉は私達の父よりも広く豊かな心を持った人である事には違いありません。私は姉をそのように評価しています。

その姉ですが、前回は7月19日だったか、私が21日の益城文化ホールで行われるコンサートのお手伝いで30分間の出演をするからと来てくれたものでした。
そして、当日は一番末席の中央付近に車椅子の母を横にして聞いてくれていました。

今回の来熊は姉の希望と嫁の都合があったのでしょうか、私の知らない間に決まった事のようですが、私達夫婦の都合に合わせてばかり来るばかりではなく、今回の様に姉自身の意思で来熊して母の老いの姿を姉なりに確認する事も大切だと思います。
孝行って子自身の考えに基づく行ない、って書きますからね。

親が子をどう思い育てていたか、子が親をどう思い、どんな形で恩返しをするのか、というのはこの時期にしか確認できない事です。

多くの生物が子孫を残すと同時に自らの命を絶つ事を思えば、人間を始めとするごく僅かな種だけが子孫を作った後までも生きながらえ、子と一緒に暮らしたり再会する生命力を持っているんです。その運命は大切にしなければいけません。

姉の子の亘君の結婚の為に夫婦で上京し、その披露宴の模様を写した写真を持参しての母との会話でしたが、果たして母がどこまで理解したのか・・。

今回の姉の来熊。それは主に嫁との金銭管理の件。あってはいけないが必ず訪れる老いの果て。母の今際の際の話。お葬式の形や具体的な葬儀の際のグレードですか。そんな事を話し合うのが目的のようでした。

母の場合、5人兄弟とは言え、末っ子です。母のすぐ上の姉さんのみつ子さんは4歳上、その上のフサ子さんは7歳上、その上のイサム兄さんだと11歳違い、長男の進さんになると13歳も上でしょうか。そして、その兄弟の全てが今は亡き人ですから、そんな大袈裟にはする必要も無く、長寿が多い父方の親族にしてもかなりの高齢者ばかり。それに、私の希望の、「お茶を出すタイミングに気を遣うような人は呼びたくない」、という事も考慮して貰い、質素な密葬でという事になりました。

縁起でもない!、と言われそうですが、こんな事くらいは考えておくのが母への礼儀だと私は思っています。
以前と違い、郵便局から大金を引き出そうとすると名義人本人でなければ引き出せません。代理人が引き出そうとすると1回の限度額が細かく決められているんです。郵便局員との素朴な近所付合いが多い田舎ではなあなあの付合いの時代が長かった為、今回の郵政改革で厳しくなった郵便局の対応に大変な事になる事もあるようですよ。

♪:母の童歌




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