2008年12月15日
♪:同居記録:78
☆2008.10.4。もう・・、金木犀が香り始めた。
「あらっ、こりゃ何きゃ?」。デイに行く為に母を玄関先の車まで運ぶ最中、ボンネットに散った金木犀の花の一部を見つけた母が言いました。金木犀は覆うようにして包んでいる殻を破って黄色い花が顔を出すのです。
私の家の庭には以前に住んでいた西合志町の家を処分して現在の家を建てる際に西合志の家から運んできて移植したもので、今では随分と広く庭を占拠していて、既に30年間も我家に秋を運んでくれている金木犀があります。
「私の鼻は馬鹿になっていて分らないが、匂いが強いから好き嫌いが激しい花だよ」、と母が車中で言います。
「昔ははばかり(便所)のそばに植えたり、トイレの中の匂い消しに切って使ったもんさ」、と言います。デイ施設にも植えてありますし、よく行く代継神社には金木犀と銀木犀が仲良く並んでいます。でも、秋はまだこれから深くなり、その姿にいろんな色を纏いながら冬のモノトーンへの衣替えをしていく事でしょう。
2005年11月に♪:金木犀という作品を作っています。この作品には2005年8月に母の故郷の歌が浦を私達夫婦と母との3人で訊ねた時、それに10月に長崎の長女。紘子を加えて訪ねた時の感動を盛り込んでいます。
8月の旅では母が歌が浦で暮らした住まい跡まで20mの距離まで行っていたというのに気づかなかった旅でした。でも、宿舎の歌が浦荘から見る夜景、光る港の月明り。部屋に入る潮風に母は遠い記憶を探す一方で旅の疲れを楽しむように癒しているようでした。
翌日は母が生まれた土地の佐々に立寄り、幼い頃に可愛がった(旧姓)濱野千代サンにも会えました。息子さんは佐世保市内で外科医として立派な病院を経営されています。 その8月の旅から2ヶ月後には長崎の紘子を加えた4人で訪ねました。この10月の旅では従兄弟の河内義統氏の道案内で母の住んでいた跡地にも行け、お隣だった川尻さん姉妹のミッちゃんとフーちゃんにも会えました。
「・・つや子姉シャマ!」、と駆け寄るミッちゃんに、しばし考えた母は、「ありゃ、・・貴女はミッちゃんネ!」、と大喜びで抱きしめていましたね。
この頃までの私は【母に生命を返す時】などという作品群を作るつもりなどなく、作品もまだ5作程度のものを草野球仲間に対して近況報告みたいに送っていた程度でした。でも、この旅での感動は残さないといけないな、と思いましたね。 実は、随分前に既述した事ですが、この翌日の10月26日に訪ねた佐々の東光寺で体験したもの凄い集団の蝉しぐれが私に本格的な作品CD作りを決めさせたのです。
10月26日と言えば、既に金木犀が咲き誇る頃でした。いい感じの秋日和でしたが、この東光寺は佐々の町並みよりもかなりの高台にあって結構涼しく、その裏山となると寒いくらいの場所にあるのですが、この時にお寺の境内で聞いた蝉しぐれは今でもはっきりと覚えています。
「ああ、これは何かの力が加わっている。・・何かをしろ、という意味かも」、私はそう感じたんです。そして、熊本の自宅に帰りついた時には、もういつでも唄えるくらいの詩と旋律ができ上がっていたんです。この金木犀という作品を唄っている私の声は自分で聞いても感動するほどに優しい声で、詩の中に入り込んで子供になっているかのようです。
♪:金木犀(2005.11)
①
いつになく冷えた朝 窓の外は深い秋
雪のように舞い落ちる金木犀 白い季節はすぐ・・そこ
静かな寝息立て 今朝は母がまだ眠ってる
昨日、届いたばかりのハーモニカ 枕のそばに置いたまま
窓を少し開けましょうか? 母の眠りを邪魔せぬように
そして香り放てよ金木犀 今朝は君が母を起こせ
カーテン越しに朝日が射します 窓の外は深い秋
庭の隅に積もった金木犀 白い季節はすぐ・・そこ
風が部屋を訪ねます 母に季節を届けます
やがて母が静かに眼を覚す まるで幼子のように
お茶でも飲みましょうか? 耳元で母に尋ねましょう
そして香り放てよ金木犀 君が窓辺に母を・・呼べ
今は秋? 母が聞く 春はまだ? 母が聞く・・
途切れ途切れの記憶の中に 忘れられない事がある
古びたアルバム 開く度に 破れた写真 継ぎ足す度に 母の記憶が つかの間・・戻る
② 92度目の冬が来る 辛い事など一つもなかった
愉しい事だけ覚えているさ 私にいつも・・言う母が昨夜の夢を話します
幼い頃は近所のミッチャンと 川に水汲み山には小さなビャラ集め みつえサンも同じ夢をみたかも
会いに行きましょうよ 貴方を慕うみつえサンに
そして、姉のふじえサンにも会えるかも 歌が浦は・・母の古里
花言葉は「気高い人」母には似合うかしら?
香り届けよ思い伝えよ金木犀 母には「素朴さ」が似合う
日毎夜毎に匂い立ち 日毎夜毎に舞落ちる
やがて命短かし金木犀 希望を母に与えて・・くれ
厚めの布団に替えましょうか? それとも薄手を重ねましょうか?
部屋に飾り続けた金木犀 今日で君とは・・お別れ
今は秋? 母が聞く 春はまだ? 母が聞く・・
途切れ途切れの記憶の中に 忘れられない事がある
古びたアルバム 開く度に 破れた写真 継ぎ足す度に 母の記憶が つかの間・・戻る
いつになく冷えた朝 窓の外は深い秋
秋の終わりを告げて散る金木犀 白い季節はすぐ・・そこ
2003年3月に始まった母親との同居。来熊直後の転倒で完全に歩けなくなった母を私は4月の半ばから5月6月と仕事も放棄しては母の身体を温浴と鍼とマッサージで立てるまでにし、近くの立田山自然公園の遊歩道で歩行訓練に明け暮れました。いろんな事を考え、いろんな思いを込めて作ったのがこの♪:金木犀でした。
しかし・・・・、この♪:金木犀の録音が済んだ翌月の12月2日、母は折角歩けるようななった喜びも束の間、部屋の天井の照明を消そうと杖も使わずにソファーに登り、蛍光灯のペンダントを掴もうとしてその後の母の人生を決定的なものにしてしまう転倒をして骨折をしてしまったのです。
この2005年の12月2日。私のそれまでの努力が水泡に帰し、母の自立での歩行姿が二度と見れなくなってしまったのです。そして、その3ヶ月間の入院中、退院後には3ヶ月間のリハビリ入所と、この6ヶ月の間に母の認知が急激に進む事になったのでした。
「あらっ、こりゃ何きゃ?」。デイに行く為に母を玄関先の車まで運ぶ最中、ボンネットに散った金木犀の花の一部を見つけた母が言いました。金木犀は覆うようにして包んでいる殻を破って黄色い花が顔を出すのです。
私の家の庭には以前に住んでいた西合志町の家を処分して現在の家を建てる際に西合志の家から運んできて移植したもので、今では随分と広く庭を占拠していて、既に30年間も我家に秋を運んでくれている金木犀があります。
「私の鼻は馬鹿になっていて分らないが、匂いが強いから好き嫌いが激しい花だよ」、と母が車中で言います。
「昔ははばかり(便所)のそばに植えたり、トイレの中の匂い消しに切って使ったもんさ」、と言います。デイ施設にも植えてありますし、よく行く代継神社には金木犀と銀木犀が仲良く並んでいます。でも、秋はまだこれから深くなり、その姿にいろんな色を纏いながら冬のモノトーンへの衣替えをしていく事でしょう。
2005年11月に♪:金木犀という作品を作っています。この作品には2005年8月に母の故郷の歌が浦を私達夫婦と母との3人で訊ねた時、それに10月に長崎の長女。紘子を加えて訪ねた時の感動を盛り込んでいます。
8月の旅では母が歌が浦で暮らした住まい跡まで20mの距離まで行っていたというのに気づかなかった旅でした。でも、宿舎の歌が浦荘から見る夜景、光る港の月明り。部屋に入る潮風に母は遠い記憶を探す一方で旅の疲れを楽しむように癒しているようでした。
翌日は母が生まれた土地の佐々に立寄り、幼い頃に可愛がった(旧姓)濱野千代サンにも会えました。息子さんは佐世保市内で外科医として立派な病院を経営されています。 その8月の旅から2ヶ月後には長崎の紘子を加えた4人で訪ねました。この10月の旅では従兄弟の河内義統氏の道案内で母の住んでいた跡地にも行け、お隣だった川尻さん姉妹のミッちゃんとフーちゃんにも会えました。
「・・つや子姉シャマ!」、と駆け寄るミッちゃんに、しばし考えた母は、「ありゃ、・・貴女はミッちゃんネ!」、と大喜びで抱きしめていましたね。
この頃までの私は【母に生命を返す時】などという作品群を作るつもりなどなく、作品もまだ5作程度のものを草野球仲間に対して近況報告みたいに送っていた程度でした。でも、この旅での感動は残さないといけないな、と思いましたね。 実は、随分前に既述した事ですが、この翌日の10月26日に訪ねた佐々の東光寺で体験したもの凄い集団の蝉しぐれが私に本格的な作品CD作りを決めさせたのです。
10月26日と言えば、既に金木犀が咲き誇る頃でした。いい感じの秋日和でしたが、この東光寺は佐々の町並みよりもかなりの高台にあって結構涼しく、その裏山となると寒いくらいの場所にあるのですが、この時にお寺の境内で聞いた蝉しぐれは今でもはっきりと覚えています。
「ああ、これは何かの力が加わっている。・・何かをしろ、という意味かも」、私はそう感じたんです。そして、熊本の自宅に帰りついた時には、もういつでも唄えるくらいの詩と旋律ができ上がっていたんです。この金木犀という作品を唄っている私の声は自分で聞いても感動するほどに優しい声で、詩の中に入り込んで子供になっているかのようです。
♪:金木犀(2005.11)
①
いつになく冷えた朝 窓の外は深い秋
雪のように舞い落ちる金木犀 白い季節はすぐ・・そこ
静かな寝息立て 今朝は母がまだ眠ってる
昨日、届いたばかりのハーモニカ 枕のそばに置いたまま
窓を少し開けましょうか? 母の眠りを邪魔せぬように
そして香り放てよ金木犀 今朝は君が母を起こせ
カーテン越しに朝日が射します 窓の外は深い秋
庭の隅に積もった金木犀 白い季節はすぐ・・そこ
風が部屋を訪ねます 母に季節を届けます
やがて母が静かに眼を覚す まるで幼子のように
お茶でも飲みましょうか? 耳元で母に尋ねましょう
そして香り放てよ金木犀 君が窓辺に母を・・呼べ
今は秋? 母が聞く 春はまだ? 母が聞く・・
途切れ途切れの記憶の中に 忘れられない事がある
古びたアルバム 開く度に 破れた写真 継ぎ足す度に 母の記憶が つかの間・・戻る
② 92度目の冬が来る 辛い事など一つもなかった
愉しい事だけ覚えているさ 私にいつも・・言う母が昨夜の夢を話します
幼い頃は近所のミッチャンと 川に水汲み山には小さなビャラ集め みつえサンも同じ夢をみたかも
会いに行きましょうよ 貴方を慕うみつえサンに
そして、姉のふじえサンにも会えるかも 歌が浦は・・母の古里
花言葉は「気高い人」母には似合うかしら?
香り届けよ思い伝えよ金木犀 母には「素朴さ」が似合う
日毎夜毎に匂い立ち 日毎夜毎に舞落ちる
やがて命短かし金木犀 希望を母に与えて・・くれ
厚めの布団に替えましょうか? それとも薄手を重ねましょうか?
部屋に飾り続けた金木犀 今日で君とは・・お別れ
今は秋? 母が聞く 春はまだ? 母が聞く・・
途切れ途切れの記憶の中に 忘れられない事がある
古びたアルバム 開く度に 破れた写真 継ぎ足す度に 母の記憶が つかの間・・戻る
いつになく冷えた朝 窓の外は深い秋
秋の終わりを告げて散る金木犀 白い季節はすぐ・・そこ
2003年3月に始まった母親との同居。来熊直後の転倒で完全に歩けなくなった母を私は4月の半ばから5月6月と仕事も放棄しては母の身体を温浴と鍼とマッサージで立てるまでにし、近くの立田山自然公園の遊歩道で歩行訓練に明け暮れました。いろんな事を考え、いろんな思いを込めて作ったのがこの♪:金木犀でした。
しかし・・・・、この♪:金木犀の録音が済んだ翌月の12月2日、母は折角歩けるようななった喜びも束の間、部屋の天井の照明を消そうと杖も使わずにソファーに登り、蛍光灯のペンダントを掴もうとしてその後の母の人生を決定的なものにしてしまう転倒をして骨折をしてしまったのです。
この2005年の12月2日。私のそれまでの努力が水泡に帰し、母の自立での歩行姿が二度と見れなくなってしまったのです。そして、その3ヶ月間の入院中、退院後には3ヶ月間のリハビリ入所と、この6ヶ月の間に母の認知が急激に進む事になったのでした。
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